今日は星が綺麗だったことと「孤独は危険」
退院して実家に帰って来てから初めて夜空を見上げた。
今日は星が綺麗だった。
「夜空は私の命を何度も救ってくれた」
鬱でひどく毎晩苦しんでいた時、夜空の月を見ながら音声レコーダーにひたすら自分の苦しさを言葉で吐き出していた。毎日のようにきっと同じことをレコーダーに向かって話していた。しにたいだったり、消えたいだったり、自分を責める言葉をたくさん言ってた。泣きながら散々。そのレコーダーは私の生死の叫びだけでいっぱいになって、それ以来使われていない。
言葉を発するってことはストレス解消になる。
だからきっとあのレコーダーは私の恩人
今、どこにあるかなぁ
「孤独は危険」
孤独になると言葉を発することが減る。
もちろん孤独で向き合う時も必要かもしれない。
だけど孤独は危険。
鬱の人は自分で追い込んでどん底まで落としちゃうんだよ。
自分を掃き溜めにするみたいに。鬱になると四六時中、罪悪感の中で暮らしてる。(鬱の人、みんなじゃないよ、きっと、私はそうだってこと)
私はこれから当事者の人に話を聞こうと思っています。
(もちろん双極性症の方々です。)
今後、自助会の参加も考えています。
今、私は躁になろうとしているのか.....
ただ、生きるためには自分に与えられた病いを知るしか先に進めないんだと今は思っています。
多くの大切なものを失って気付きました。
双極性症として生まれたことに意味があるのか?
恐らくない。
◆双極性症で得たこと(私なりの)
クリエイティブなこと、恋愛経験、短期戦で人を巻きこむこと(すべて体験上から)
今日は星が綺麗だったからだ。
躁鬱病について久しぶりに考えた。
今はしのうとしてない。
日々、病いと向き合いながら生きています。
どうかあなたも今日一日生き延びてね。
パパゲーノ的生き方。